新しい仕事始まりまーす。   

2009年 11月 07日

来週から新しい仕事が始まる。
帰国して、4ヶ月経った。
ほんまに、忙しかった。
ほとんどは賃労働ではないけれど、何だかんだと労働していて、
なんだかんだしているうちに、運良く新しい仕事が決まった。

本当は、路上で玄米弁当屋をしようと思っていたけど、
色々としているうちに話が変わってきてとりあえずは老人福祉施設
(デイサービスと老人ホームのこと)で、給食を作ることになった。
もちろん、あおぞら農場(母親の働く有機農業の農場)の野菜を使う。
まあ、最初の予定とは変わったけれど、この「不況」の中
それなりに納得いく仕事にありつけて良かったです。
ほんとラッキー。

しかし、何だか日本っていう国は衛生とか路上の法律とか細かくあるし、
私は調理師免許もなくて、料理修行もしたことがない、とりあえず
路上で弁当屋をやるんだなんていうと、
色んな人に、
「世の中そんなに甘くない。」だの
「そんなん儲からない。」だの
「まずは料理修行しろ。」だの何だの散々言われた。

そう言ってくる人は皆、
私が「とりあえずやってみたいんだ。」
ということに耳を傾けさえしてくれなかった。

キューバやメキシコなどのいわゆる‘第三世界’を旅したときに、
皆、路上で食べ物を販売してとりあえずの稼ぎを得ていた。
路上で食べ物を販売することは、
お金がなさそうな先住民のおばさんや子供など
誰でも出来る手っ取り早い商売に見えた。
だから、日本に帰ってきて、お金も仕事もない私は
とりあえずは美味しい野菜を使って、栄養あるものを
都会のサラリーマンやOLなど栄養の偏っている人たちに安価で
売ることができたらいいのではと思った。

だけど、私が考えていたことは、
日本では現実的ではなかったらしい。
路上販売は法律的には認められておらず、
時と場合によっては行政の強制退去もある。
衛生管理の免許を取っていないと飲食店はできない。
正式なお店の営業許可を取るには、
たくさんの基準をクリアしないといけない。


しかし…。
この国は(日本だけじゃないとは思うけど)、
自然な発想が当然のこととして通らないなと思う。
お金がないから、路上販売をするとかそういうことが。

儲からないと意味がないんか?
資格がないと信用できへんのか?
素人が何かをしてお金をとったらあかんのか?
大きい会社も簡単に潰れるし、
名声がある人が悪いこともするし、
資格があってもいい加減な人もいる。


私にアドバイスというか余計なおせっかいを言ってくれた人は、
多分「当然やろ」って思いながら言ってると思う。
私が世間知らずな言われ方をされるけど、
私は、今の日本というのか、
資本主義社会が何でもかんでもお金中心、資格中心で病的だと思う。
やっぱり私は家族とか友達とか地域とか周りと繋がって、
自然な形で仕事でも生活でもしていくのがいいことなんじゃないかって思う。


まあ。
そんなわけで(ってまとまってないけど)、
新しい仕事はいよいよ月曜日から。
こんな日本の現状ですが、
それでも自然に人間らしく生きていこうと思う。
美味しいごはんを作って、それを食べてもらって、
皆で酒飲んで騒いで。
あったかい場所でぐっすり寝れたらそれ以上のことはないよね?
なんて考えながら、新しい仕事頑張りまーす。

▲ご報告
10月24日(土)にした、旅のお話会の報告を
主催のいっちーさんがブログにアップしてくれたので、
そのブログを貼っておきます。
↓↓↓
http://blog.livedoor.jp/spacemotive/archives/51283639.html


▲あとは告知
ひとりでネットで愚痴るのもいいけど、やっぱり路上にでるしかない!

新自由主義と戦争に抵抗するデモ
http://d.hatena.ne.jp/posada/20091024


★日時:11月8日(日) 14:00集会→15:00デモ出発→16:30デモ到着
★場所:三条大橋西側、鴨川河川敷
★デモコース:集会場所→三条河原町→四条河原町折り返し→三条河原町→集会場所
○炊き出しあり
主催 反戦と生活のための表現解放行動
○スローガン
・最低賃金2000円、労基法を改正して労働者の権利を認めろ!
・自立支援法廃止、介護労働者の賃金を上げろ!
・更新料をなくせ、家賃を0円にしろ!
・学費をタダに、奨学金をみんなに配れ!
・普天間基地閉鎖、沖縄辺野古に基地を作るな!
・ソマリア派兵をやめろ、アフガニスタンから軍隊を引け!
・6兆円の税金を使うミサイル防衛をやめろ!
・日米安保廃止、軍隊をなくせ!
・外国からの移住労働者を追放するな、入管法廃止!
・死刑制度を廃止しろ!
・天皇即位20周年を祝うな、20周年に税金使うな!
・法人税、資産にもっと課税しろ!税金は金持ちから取れ!
○呼びかけ文
2008年9月のリーマンブラザーズが破綻したのを期に、世界金融危機が起こった。
株主には大金を配る一方で、派遣労働者は路上にほうりだされ、
年末には各地に派遣村ができた。
結局、金持ちたちが世界をカジノにし、人々の尊厳、
生活を賭け金にしてばくだいな富を手に入れ、その負債を全部押しつけた。
報道によれば失業率は8月に5.5%で過去最悪レベルになり、
新しい仕事を探しても、有効求人倍率0.44倍のイスとりゲームをしいられる。
大学に行っても高い学費を取られ、
やりたくもない就職活動にほんろうされる学生生活の毎日。
あるのは最低賃金ギリギリのバイトかブラック企業だらけの求人票。
無理して働けば研修なしでいきなり過重な仕事とノルマがせおわされる。
おまけに理不尽に怒られるパワハラ職場と、
帰りはいつも終電の体が壊される長時間労働。
カツオ節のように削られていく自分の体。
今の経済システムはピンハネしている連中がカネを右から左に動かして、
うちらの労働と生活をカモにする。
競争と自己責任、「企業活動の自由」のもと、
あらゆるものをマネーゲームにして自己実現を迫った新自由主義は、
壮大なマルチ商法みたいなものだ。
自民党政府によって金持ちは減税され、
高齢者や障害者などへの社会保障費は抑制され削られてきた。
その一方で、世界的なミサイル軍拡を招くミサイル防衛=MDシステムに
日本政府は今後6兆円をつぎ込もうとしている。
すでに800億円が使われたインド洋での自衛隊給油活動は、
無料ガソリンスタンドとして、アフガニスタンをむちゃくちゃにした米軍に
イラク戦争にも活用された。
「安心安全」の名目で補正予算化された、
海賊対策というソマリア沖への自衛隊派遣はまだ見直されず続いている。
沖縄の辺野古の海や、住民のかけがえのない生活を破壊する米軍新基地建設には、
今後1兆円を使う予定だという。すべて税金である。
国と国、一人一人を対立させ、社会の恐怖を作り出して、
軍事力にこれいじょう金をつぎ込むなんてじょうだんじゃない。
11月12、13日にはオバマ大統領が来日し日米首脳会談がひらかれ、
世界中の富の取り分を勝手に話し合うらしい。
もちろん、背後には最強最悪の軍事力。
民主党政権に交代し、自民党が行ってきた政策が見直される状況が生まれている。
今こそ街頭に出て自分たちの声を上げ、新自由主義と戦争からの変革をせまる必要がある。
将来の夢なんかとっくにないし、銀行通帳の数字もない。
できるのは人と出会い、共振すること、実験すること、表現すること。
希望は自由と喜びのデモだ。
一人でグチるより、みんな街頭に出て、叫んで、踊って、路上解放、
自由と平等の空間を作ろう。
11月8日は新自由主義と戦争に抵抗するデモへ!
*自転車、携帯電話、IDカードをデモに持ってこない方がいいかも。
*鳴り物、楽器、仮装大歓迎!
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# by noetabi | 2009-11-07 22:53 | 帰国後

只今、農業研修&料理修業中!   

2009年 09月 26日

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ひとまず、大阪での新生活がスタートした。
今は、なおきくんと共に実家にて寝泊まりしている。
実家から母親の働くあおぞら農場に通い、
有機農業研修をさせてもらいながら、
家族4人分の昼ごはん、夜ごはんを作る日々である。

最近、母親の農場で月1回出している通信に私とナオキくんの
記事を掲載してもらったので、これをそのまま載せまーす。


最近は…。楽しく次の仕事に向けて頑張っているが、
やっぱり一筋縄にはいかへんね。
何をするにしても人の力を借りる必要があるけど、
色んな人の意見が入ってくると、
自分の軸がブレたりすることもたまぁ~にあったりして。
結局は、自分がどうしたいかっていうのを強く持って
突き進むのみですわ!!
独り言、失礼しました。

では、以下『あおぞら通信』引用。

『 対談「ふらふら旅。へとへと研修。」 ▲石原野恵 ■志賀直輝

 ■野恵ちゃん、お母さんから「あおぞら通信」の原稿依頼きましたよー、なに書く?
 せっかくだから、旅のこと話してよ。
 
 ▲じゃあ、そうさせてもらいますわ。
  私は、食品会社を辞めて2008年7月から1年間、世界旅行へ行ってん。
  アジア、中東、ヨーロッパ、北米、中米と14カ国を旅した。
  韓国で有機農業の学校でボランティアしたり、フランスでは有機農業で
  ベジタリアンのコミュニティでボランティアした。
  で、キューバでは漁師をした。
  色んな国で、色んな人に会って、めちゃめちゃ色々考えたやけど
  ‘食’は改めて大切やと思った。一言では語られへんわ。
  で、真っ先に自分の周りでの‘食’ということで結びついたのが、
  うちの母親が10年くらいしている‘あおぞら農場’やった。
  大阪に帰ってきて、すぐに母親に研修させてほしいと頼んで、今に至るよ。
  そういう、直輝はどんな旅してたん?

 ■俺?俺は、3年ちょっと、海外ほっつき歩いてたよ。
  アジアじゃ、出家志して仏教修行してたよ。
  もちろん、出家はやめたけど(笑)。
  それからパレスチナじゃあイスラエル軍や入植者がパレスチナ人に
  毎日暴力振るったり占領しててね、それを身体で止めるいうNGO活動してた。
  それからヨーロッパじゃあ、金ない若い奴らとかアーティストたちが
  みんなで空き家を占拠してて、そこを共同空間にしたり、
  有機農業やってたりっていう場所で生活してたよ。
  あとは、超貧乏な国でスラムいわれる貧民エリアでボランティアしてた。
  そんでもって、中南米いってグアテマラで、野恵ちゃんと運命的に会ってね。
  無理いって、一緒にメキシコはチアパス州のサパティスタ民族解放軍の自治区で
  ボランティアしようって誘ったんだよね。
 
 ▲そうやね、行ってほんまにいい経験になったわ。

 ■うん。サパティスタ民族解放軍っていうのを説明しないといけないよね。
  サパティスタを簡単にいうと、メキシコに元々住む、
  先住民たちの農民運動なんだよね。
  1994年にね、米国、カナダ、メキシコの間で自由貿易協定ってのが結ばれて、
  三カ国間で関税なしで自由に貿易ができるようになった。
  そのせいでメキシコ国内に米国から大量生産の安い農作物が流れこんできた。
  だから農薬も買えない小規模農業してる先住民たちが更に貧乏になった。
  白人がアメリカ大陸に侵略してからさ、ずっと貧乏や差別から抜けにくい
  システムの中で暮らしてる先住民・農民たちがさ、
  こんな生活は「もうたくさんだ!」いって、
  94年に武器をもって立ちあがったんだよね。
  彼・女たちは、米国や政府、大企業の介入を拒否して自治区をつくって
  自分たちの生活と食を守ってるんだよね。

 ▲村は全体的に貧乏やった。
  ぼろぼろの服に素足の子どもがよくお菓子ほしいとかねだってきたな。
  なんで、こんなにも貧乏なんやろっていっぱい考えたわ。
  そんな環境の中で、自分たちの土地や地域の生活、自分たちがつくる
  栄養価が高くて安全な食べ物を守ろうっていう動きが素直に
  「素晴らしい」って思った。
  サパティスタの農民たちは当たり前のことを率直に主張してる。
  だから彼・女たちは貧乏やけど、子どもも大人もすごい、
  みんなが明るくって健康的やった。

 ■そうなんだよね。
  自分たちの食べ物とかさ、土地を守ろうっていうのが本当に強かったよね。
  そこで思うのが日本の農業だったり、食べ物だったりするんだけどさ。

 ▲そう、そこやねん。
  だから、あおぞら農場に真っ先に来たかってん。
  あおぞら農場は、地域密着で出来るだけ薬も使わないで、
  食べる人と会話しながらやってるやん。
  でも、その自然なことを続けていくのって、
  ほんまに大変やなって研修来て思ったわ。
  この前、にんじん葉の虫取りをやっててん。
  山ほど、いも虫がおって「ぶゎーって農薬かけたい~」
  って衝動に駆られたで(笑)。
  こんな大変な作業ををずっと続けてるんやから、
  あおぞら農場のみんなはやっぱりすごいわ。
  安全で美味しい食べ物を作って土地の物を守る、
  自然で当たり前なことを続けていくってことは、
  ほんまに大変なことやって思った。

 ■ほんとだね。
  自分たちの食い物と土地・地域を守るってことが大事だよな。
  大型スーパーとか大企業からよくわからん食べ物買うよりも、
  安全でさ、地元のもん買って、地元で繋がる方がいいよな!
  っていうかさ、出来ることなら自分でつくるのがいいよね!
  やっぱり、DIYだ!
 (Do It Yourself=自分たちのことは自分たちでする)』


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これがアブラムシ。この虫をひたすら指でつぶすのだ。
無農薬で農業するって恐ろしく大変です!!

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ひたすら虫取り~(汗)。

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休みの日は、畑で子供とあおぞらお絵かき!!

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日々、料理修業!!腕を磨くのじゃ。
メニュー:玄米ごはん、冬瓜とベーコンのスープ、野菜グラタン、冷奴。
      ※ベーコン以外、お肉使ってないよ。この日は、まずまずの出来。
        皆に美味しいって言ってもらえたんやで~♪

 ※告知
  OL時代に一緒に習い事していた、いっちーさんのお誘いで
  今回の世界旅行のお話し会をすることになりました。
  イベントで出すコーヒーはメキシコのサパティスタコーヒーで、
  フェアトレードのコーヒー。美味しいよ~。
  私自ら、お菓子作っていきます。
  あおぞら農場のさつまいもでスイートポテトを作る予定。
  イベントといっても、アットホームでワイワイ会話しながら
  って感じになると思うので、予定あいてる人はぜひ来てください。
  美味しいもん食べながら、一緒にお話して遊びましょ!


  詳細は以下になります。

  日時:  10月24日(土)
  会場:  バンビオ1番館1階奥(JR長岡京徒歩2分)
       詳しくは→http://www.bambio-ogbc.jp/outline.html
  会費:  1000円(サパティスタコーヒー&お菓子付き)
       ※お菓子は私自らが作っていきます。
  お申し込み&お問い合わせ
       info@korogaruishikoro.com(青田)
       075-956-6098/090-9874-9569
  主催:  語学と食のスペース・モーティブ
       http://blog.livedoor.jp/spacemotive/
    ★事前に申し込みをお願いします★
  
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# by noetabi | 2009-09-26 15:25 | 帰国後

修行の日々。   

2009年 08月 16日

帰国して、早くも一ヶ月半が過ぎてしまった。

帰国してからネット環境がかなり悪いところにいたり、
何だかんだと予定が詰まっていて、
気が付けば、もうお盆。
じっくり日本を感じたり、この一年の旅を振り返る暇もないほど
毎日が慌ただしく過ぎてしまった。
(と言ってもまだ仕事はしていない。
 親戚に会ったり友達に会ったり、遊ぶのに忙しいだけ。)
もうちょっとダラダラする日が欲しい、と思いつつも、
これだけやることがあって、
忙しいというのは幸せなことなのかもしれない、
とも思っている今日この頃。
そして、ペースの早い日本社会に仕事復帰するためには、
これくらいの忙しさから入ると、慣れるのも早いのかも…と思ったり。
あー、しかしそれにしても日本のペースは早い…。
旅人(私が特にかも!?)のペースが
遅すぎるってのもあるとは思うが…。

ところで。
最近の私は…というと。
先日、もうすぐ長野県で開催される(小さな規模だが)祭にて、
飲食店をして欲しいという依頼を友人から受けた。

そこで、私は何をしようかと考えた。
そして思いついたのがコレ!
(というか、母上の提案。)
「薪でごはんを炊いて、ふりかけ・梅・のり等を添えて出そう!」
そう思い立ったため、最近は実家にて2、3日に1回ペースで薪でごはんを炊いている。
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初回は、えげつないほどに
ごはんが真っ黒焦げで大変なことに。
(重曹でこすってもとれへん…。)

そこで、炊き方をインターネットで調べてみた。
(以下、とあるインターネットブログ引用)


『①最初は強火で、沸騰させる。
 ②中火にし5~10分、
 ③あぶくが出なくなったら次に弱火約10分(炭のオキ火で良い)
 ④少しおコゲを作るため再び一瞬強火にして水分をとばし、
 ⑤火を止めて10分間蒸らす。
 ※この間絶対蓋を開けないこと。

 米の炊き方に昔からこんな語り伝えがあります

 はじめちょろちょろ 中ぱっぱ 赤子泣いてもふた取るな
 始めちょろちょろ中ぱっぱ→火加減のことですが これはうそ
 米の水温は早く高くしないと表面にだけ水分を多く含んだ飯になる
 沸騰してからなかぱっぱでは美味しい成分(表面のつや)が
 吹きこぼれて無くなる。へたをすると黒コゲのおこげができるよ!』

これを参考に。
よしやるぞと、2回目。

2回目はたまたま火加減・水加減が絶妙だったようで、
ふっくら、香りも最高!
味に厳しい母上が大絶賛してくれる。
母上より頂いた言葉。
「何回か薪でごはんを炊いたけど、こんなにふっくら美味しいのは初めてやわ。」
嬉しくて、私は心の中で大喜びした。
(何故かわからんが、親の前では大はしゃぎしにくい。)

そして、技を極めるためにも3回目。
まあまあ美味しい。
でも、ガスの炊飯器と変わらない味。
どうやら火加減がよくなかったらしい。
このときは、最初に弱火にしすぎた模様。
でも、もうすぐ極められそう。

そして、4回目。
失敗…。
多分、中火にするのが早すぎた。
あー難しい。
でも、やるで!
必ずや!美味しいごはん炊けるようになりまーす。


そして、実は私。
そのうち飲食業をやりたいと考えている。
しかし、料理が特に上手いわけではない(普通にはできるけど)。
うちの姉夫婦は元プロの料理人
(今もバイトでやったり、家でもこだわりの料理をする)。
母上は農業やってて、家庭料理がうまい。
そんな家庭環境の中で私が
「この子はやりよる。」
とは思われているハズもない。
どちらかと言うと、いつも食わせてもらっている立場である。

そして案の定、母上に突っ込まれた。
「料理の腕をもっと磨け!」と。
そういうわけで、最近は…。
実家で晩御飯係として、修行している日々である。
自信が持てる腕になるまで、修行じゃー。
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今日の晩ごはん。
メニュー:かまどで炊いたごはん、野菜炒め、厚揚げ、ポテトサラダ、以上。
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夏らしいバナナゴーヤミックスジュースも作ってみた(これは、うちのばあちゃん指導)。
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# by noetabi | 2009-08-16 00:36 | 帰国後

カンクン・サンクリ・メキシコシティ ~旅、最終回~   

2009年 06月 30日


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▲メキシコシティ・コレクティボハウスのたれ幕

キューバでの生活は、楽しかったものの疲れがたまっていたので、
1週間ほどカンクンでダラダラしていた。
しかし、メキシコに帰ってきてから何度も思う。
メキシコの街はキューバに比べると、きらびやかでモノが溢れている。
そして、企業の大きな看板、看板、看板。
キューバから帰って来ると、刺激が強くて目がまわりそうだった。


カンクンから再び17時間のバス移動でサンクリへ。
今回は、サパティスタでのボランティアはせずに、
オベンティックというサパティスタの一番大きな拠点地へ。
ここには、自治政府があったり、子どもたちのための宿舎や学校、
また病院や救急車があった。
壁にはたくさんのグラフティーやカッコイイ絵がたくさんあった。
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▲オベンティックの絵①
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▲オベンティックの絵②
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▲オベンティックの絵③
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▲オベンティックの絵④
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▲オベンティックのたれ幕

サンクリから更に、15時間のバス移動でメキシコシティへ。
久々の大都会に少しばかり挙動不審になる。
メキシコシティはごはんが安くて美味しい。
ここの屋台は、活気があって、
味もそのへんのレストランよりも断然美味しい。
旅をして間もない頃は、お腹を壊したこともあって
屋台で食べることが出来なかった私。
それから考えると強くなったなぁ、と思いながら、
屋台でたらふく食べる日が続いている。

そして、アナキストが集まるコレクティボハウス兼
インフォショップへ行って来た。ここには、社会に不満をもつ人、
金を使わないでみんなで楽しいことをしたい人たち、
アナキスト、活動家、芸術家、PUNKS、いろんな人たちが
集まっていた。この人たちは都市部サパティスタでもある。
この共同空間では映画上映、プレゼンテーション、作業場所、
カフェ、アナキズム図書室、いろいろな情報場所になっている。

(アナキズム=あらゆる権威や強制を否定する考え方、または人々。
 権力や政治を一部に集中させないで分散させた、地方分権型、
 また、地域住民が参加してゆくことで地域社会を活性化、
 自分たちのことは自分たちでやろうという自治、
 DIY=Do It Yourself など)

(インフォショップ=世界中にある情報共有スペース。ただモノだけを
 売るのではなく、みんなでイベントをやったり、世界の問題を考えたり
 する場所。)
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▲インフォショップ
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▲コレクティボ・ハウスの外観

それから、、メキシコプロレスも見に行って来た。
私は大学プロレスしか見たことがなかったので、
技の速さやキレに感動し、大興奮。
日本人選手も3人も出ていて頑張っていた。
ちなみに、私が大興奮した選手はミスティモというヒーロー役の選手。
基本的には悪役の方が好きだが、
ミスティモの空中技がすごすぎて失神しそうになった。
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というわけで旅も終盤なので、この数週間は思いっきり観光をした。
美味しいごはんも腹いっぱい食べた。
楽しかった~!!


▼旅、最終回

実は、私、そろそろ日本へ帰ることにしました。
たった1年の旅でしたが、感想を言うと…。
「世界、広すぎ!!」
会社員時代に本屋でたまたま見つけた、「世界一周」の旅本に触発され、
「私も!」ということで1年計画で始めたけれど。
とんでもない!
世界一周なんて言っても、私がまわったのはたったの14ヶ国。
それも、各国つまみ食い程度にしか見ていない。

それでも、
そんなつまみ食いの中でも、
たくさんの人たちと出会うことができたし、
親切にしてくれる人たちがいた。
そして、色々なことを知ることができた。
それが、本当に面白かった。


道がうんこだらけの地域。
痴漢が多い地域。

死ぬほど寒い地域。
動けないほど暑い地域。
宗教色が強い地域。
兵隊が街中にいる地域。

肌の色がいろいろな地域。
物乞いが多い地域。
子供がたくさん働いている地域。
お金持ちが多い地域。
貧乏人が多い地域。

自給自足をしている地域。
政府に頼らず自分たちで勝手に自治をしている地域。


今まで、自分が何気なく買った安いモノの中に、
自分が行った遠い国の人たちが作っていたモノがあり、
その人たちがヒドイ生活を強いられていた。
そういうことも知った。

あー、こんな不公平な世界を知らなければどんなに楽だったんだろう、
と何度か思った。
だけど、知ることが出来て良かったとも思う。

これからは、目の前の、自分が出来ることから始めようと思う。
自分が買うモノがどこから来たのか。
今食べているモノは誰がどうやって作ったモノなのか。
自分の払ったお金は誰に渡っているのか。
そのお金が何に使われているのか。
今、自分がそれが欲しいからと言って
自分が使うモノを、
何も考えずに、
誰かに任せっ放しで、
買わない方がいいと思った。

誰かに任せっぱなしにせずに、
自分で考えて、
自分で作ったり、
自分で選んで買う。
そうしながら、
自分たちで自分たちの楽しい場所を作れたらいいな、と思う。


それにしても。
アフリカと南米を残しての帰国となってしまった。
人生、たった1回だから。
また、そのうちふらふら旅に出るかも…。
と思いながらも帰国します。

ということで、7月には日本にいるので皆さん遊んで下さい!


▼告知

今月の7月4,5日に東京外国語大学でやる「カルチュラル・タイフーン」
というイベントでIRA(東京新宿にあるインフォショップ)の横で物販させてもらいます。
サパティスタ連帯Tシャツ&グッツ、BANKSY・Tシャツ、
メキシコ・アナキストTシャツ売ります。
東京に住んでいる方、遊びに来て下さい!

カルチュラル・タイフーン
http://www.cultural-typhoon.org/2009/jp/booth/a/


そういうわけで、
noetabiは多分まだ続く…。

Cancun-Sancristobal-Mexico city ~Finai episode of my trip~

I really enjoyed the trip of Cuba,
but I was so tired.
So I got a rest for a while in Cancun.
Anyway after I came back from Cuba,
I thought many times that there are a lot of luxurious goods
in the city of Mexico compared with Cuba.
There are many advertising display.
For me it's too stimulating to see,
because I came back form CUBA!!

Again I moved from Cancun to San cristobal by 17hour's bus.
This time I didin't volunteer at Sapatista,
but I went to Obentic which is most large office of Sapatista.
There are autonomous government, shool and lodgment for children,
hospital, and the emergency vehicle.
There are a lot of nice graffiti and painting.

And moreover I moved from San cristobal to Mexico city by 15 hour's bus.
I was surprised to go to big city after a long time.
There are many cheep and delicious foods on the street in Mexico city.
And that street shop is very warmed up
and much more delicious than any other restaurant(for me).
At first in my trip, I couldn't eat street food,
because I had a experience of getting heavy food poisoning in India.
So I think I am getting storonger than before,
and now I eat street food every day.

I went to collectivo house & info shop which anarchist gathered in.
The space is gathered people who don't agree with the social situation,
people who want to do something exciting action withiout any money,
anarchist, activist, artist, punks, and so on.
They are like SAPATISTA of the city.
They use this share space as a information service space.
For example they offer film showing, presentation,
something working space, cafe, library room of anarchism.


(anarchism
=the thinking or people that deny every authority and constraint.
The thing which isn't concentrated on the authority or political power,
decentralization of authority,
the thing that each local resident actively join regional activities,
the automnomy that people do everything their own things,
DIY=do it your self, and so on.)

(info shop
=the space which everybody can shere infomation.
the space which is not only they sell some goods,
but also hold some event by menber of the shop,
and they think about some problem of the world.)

And moreover I went and saw a pro-wrestling of Mexico.
I saw only wrestling of University before,
so I was so excited of technique of speed and quick movement.
Three Japanese player also take part in the game,
and they did the best.
Anyway I was so excited of one of the player.
His name is Mistimo, and he is hero.
I basically like bad plyer, but... except Mistimo.
He did a so great aero techique,
so I was almost knocked out of Mistimo.

My long trip was ending,
so I enjoyed the sightseeig very much for a few weeks.
I ate a lot of delicious foods, and I was sooooooo full.
It's sooooooooooooooooooo nice time.

▼ My trip ~final episode~

Actually I am going back to Japan.
My trip is only whole year,
but I say a feedback of my tirp...
'The world is too big!!'
I found a book of 'travel around the world'
in my exconpany days,
so I also wanted to do that.
And in fact I did.
But... No Way!!
I went just 14 countries,
though I say 'travel around the world'.
And moreover I just saw one parts of each country.

But...
even so I just saw one parts of them,
I can meet a lot of people,
and some of them took really care of me.
I knew a lot of things which I've never known.
I was so intrested in that.

The place there are a lot of shit on the street.
The place there are a lot of sexual molester.

The place I was almost died because of cold.
The place I couldn't move because of hot.
The place people are very religious.
The place there are a lot of army in the city.

The place I can see various people of their skin.
The place there are a lot of beggar.
The place there are a lot of working children.
The place there are a lot of rich people.
The place there are a lot of poor people.

The place people make most of their own foods.
The place people do autonomy without government.

Before I bought some goods without thinking,
but in my trip I can know that many people of farway country make some of them,
and they are compeled to live severely with very little money.

Before sometimes I thought I didn't want to know inequal world like that,
but I almost thought it is good for me to know that.

From now I will do what all I can do.
Where is the goods which I'm buying from?
Where is the food which I am eating from?
Where is the using money going to?
For what is somebody using that money??
I thought it isn't better
that I choose something without my thought
or entirely leaving up it to somebody.

Not entirely leave up to somebody,
I have to think everything,
I make some goods,
I pick up some goods of the lot.
In that life,
I want to make some exciting place by myself.


Anyway I am going back to Japan,
but I didn't go to south America and Africa yet.
My life is only one time,
so maybe I will go travel to somewhere again.
But I'm going back this time.

In July I'm in Japan,
so plese play with me!

And...
maybe 'noetabi' will be continued.
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# by noetabi | 2009-06-30 08:00 | メキシコ

キューバでの自給自足生活   

2009年 06月 13日

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4月28日から約1ヶ月半、ナオキくんとキューバへ行ってきた。
5月1日、ハバナでメーデーに参加。
5月4日~6月7日まで青年の島という日系人の多い島で
知人の家に居候しながら自給自足生活をしていた。
キューバは世界でも数少ない社会主義体制を取っている国。
日本と全然違ったシステムで人々が暮らしており、とても興味深かった。

***キューバ概要(参考:wikipedia、その他)***********

-革命前-

先住民たちが平穏に住む土地にスペイン人が1492年に侵略。
以降、先住民たちはスペイン人による奴隷労働、
虐殺、疫病によりほとんどが絶滅したといわれる。
その後、先住民の代わりに奴隷としてアフリカから
黒人たちが強制的に連れてこらえる。
『1763年から1787年の間だけでも、30875人の黒人が「奴隷輸入」されている。』
(コロンブスからカストロまで1参照)

1902年5月20日にキューバ共和国はスペインから「独立」を達成。
しかし、独立を勝ち取ったかに見えたが、キューバの新たな主人、
アメリカ合衆国による支配が始まった。
「独立」後、キューバにはアメリカ資本が数多く進出し、
精糖産業など多くの資源産業をアメリカ企業が支配した。
また、政治家の不正が度重なって生じたことで、
キューバの現状に対する国民の不満はこの頃からより深刻化していった。
1952年にフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)軍曹は
クーデターで政権を奪取し、憲法を停止した上で独裁政治を開始した。
バティスタ政権は、腐敗、弾圧、独裁が続いた。
これにより、アメリカのキューバ支配は頂点に達し、
バティスタ政権とアメリカ政府、アメリカ企業、
アメリカマフィアの4者がキューバの富を独占し、
その富がアメリカ本土に流れるような社会構造が形成された。

-革命-

1953年7月26日に、このようなアメリカによる半植民地状態の
克服を夢見て、フィデル・カストロ率いる青年たちが武装蜂起
したが失敗に終わり、多くの同志が殺され、カストロは投獄された。
カストロは、出獄後、同志とともにメキシコに亡命した。
メキシコ亡命後、カストロらはその地でアルゼンチン人医師の
チェ・ゲバラと出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、キューバに上陸した。
その際、政府軍の攻撃でカストロらは壊滅的打撃を受けたが、
政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、
1959年1月1日にバティスタを国外逃亡に追い込んだ。

-革命後~現在-

その後、同年2月半ばにカストロが首相職に就任。
革命政権は一連の農地改革法を実施し、
砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始めた。
また、精糖業などでアメリカ資本に握られていた土地と産業を国有化し、
農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進した。
この過程で、医者をはじめとする中・上流階級の多数の人々が
アメリカなどへ亡命した。

バティスタ政権を失ったアメリカは、
59年5月から革命政権が実施した徹底的な農地改革に直面したことで、
革命政権を敵視するにいたった。
1961年、アメリカ政府はキューバとの外交関係を断絶し、
少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。
そして、キューバは社会主義宣言を行い、ソビエト連邦との結びつきを強めた。
1962年2月3日にアメリカのケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、
キューバの経済封鎖を行うと発表した。
同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、
核戦争の危機となったが米ソの妥協で危機を回避する事態が起きた(キューバ危機)。
これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化した。

1991年にソ連が崩壊。
ソ連から石油や化学肥料が輸入できなくなったキューバで、カストロは
石油に依存しない有機農業を目指し、本を読みまくったらしい。
そんな中で、カストロが打ち出した政策は、
「有機農業の推進」と「食用牛の廃止」だった。
輸入穀物を大量に必要とする食用牛を廃止し、牛は農耕に回しトラクター
の代替となった。食用牛の廃止は、牛の屠殺禁止となった。
牛は全て国有財産となり、ミルクは子供と年寄り優先となった。
そのため、牛を殺した場合の刑罰は非常に重いらしい。

現在もアメリカとの国交断絶は続いており、アメリカからキューバへは入国できない。

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ソ連崩壊前にあった食用牛の牧場跡地。


***キューバでの生活*******************

4月28日。
CUBANA航空でメキシコ、カンクンからハバナに向けて、
ナオキくんと共に出発!
飛行機は(多分)ソ連製のオンボロ便で、出発してすぐに床からドライアイス
のような煙が大量発生!
ビビる私、寝てるナオキくん、その他にもビビる乗客数名。
しかし、添乗員は何事もないかのように落ち着いて歩いているので、
多分これは特別な問題ではないらしい。
1時間後にハバナのサン・ホセ空港に到着。
キューバは政府がヒッチハイクを奨励していて簡単に出来ると聞いていたので、
ヒッチハイクに挑戦。

幹線道路まで出ると、いきなりブッシュの顔写真が書いた
看板が出てきた。このスペイン語の意味が正確にわからないのだが、
「ブッシュはテロリストだ!」みたいなことが書いてあった。
その顔写真付き看板の前を通り過ぎた高校生くらいの女の子三人組がいた。
その一人が、持っていた縄跳びでブッシュの顔を殴って笑いながら歩き去った。
こんなところで「キューバに来た~。」と実感。
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4月29日。
今日は朝一番に病院へ行かなければならなかった。
メキシコで発生したインフルエンザの影響のため、
メキシコからキューバに入国した外国人ツーリストを含め全ての人が
二日以内に病院へ行くことが義務付けられていた。(違反すると
500ドルの罰金、もしくは刑務所行き!!)
もちろん、病院代は全員無料。
この徹底っぷりには感心した。
病院で問診を受けて、問題がなかったのですぐに帰ることができた。
キューバの病院が体験できた貴重な経験となった。

5月1日。
今日は、5月1日、国際的労働者祭・メーデーの日。
7時前に起きて革命広場へ向けて出発。
キューバでは、メーデーは格別にお祭り騒ぎのようだ。
街のあちらこちらに'1 de Mayo(5月1日)' と書いたポスターやら、
キューバ国旗やら赤黒旗があって驚いた。
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ナオキくんと二人で歩いていくと、途中でデモ隊と出会った。
子供からお年寄り、労働組合まで、人がいっぱい皆で'!Viva Cuba!'と叫んでいた。
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***島の自給自足生活。**********************

5月4日。6時前に起床。知人の住む青年の島へ向かう。ハバナからバスで1時間半で
港に到着。船で2時間。島の港からタクシーで20分。やっと、知人のぶうちゃん
の家に到着した。ハバナから遠かった。
日本から考えると恐ろしい程遠いところだ。
とにかく日本から見ると、地球の裏側のこの島での生活が今日から始った。

5月5日。今日は、イミグレーションに行って、ツーリストビザから
家族ビザへ切り替えた。
キューバでは、一般家庭に宿泊するには家族ビザが必要らしい。
民家での宿泊を認めると、お金を持っている外国人ツーリストからの外貨収入が
減るからだろう。キューバは金持ちからはお金を徹底的に取るシステムになっている。
(例えば、キャッシュカードや外貨を持ってる人はそれらを使うたびに10%TAXが
取られる。1万円下ろすと1千円が取られる。カードや外貨を持ってる人はキューバでは
少し金を持ってる部類になり、そのTAXが病院や教育などに再分配される仕組み。)
1人40ドルを支払い、無事切り替えることが出来た。

5月6日。今日は、家族総出で海釣りへ行くことに。
総勢8名、馬車2台で出発。
島では、主な交通機関は馬車だということだ。
ガソリンが高い上、横流しのガソリン以外、島では手に入りにくい。
そして、車が壊れた場合にも修理する部品も手に入りにくい。
車を維持することは一般市民にとって現実的ではないそうだ。
馬車は予想以上にガタガタ揺れて、乗り心地は良くなかった。
馬車で40分程行くと、マングローブの森に突入し、
ガタガタ道でお尻が痛かった。
それから、島にはマラブーという棘がある木がたくさん生えている。
気を抜くと、足や腕に刺さる。
そんな道をしばらく進んで、やっと海に到着。いよいよ、釣り開始。
海の中を歩きながら、根気よく釣れるポイントを探さなければいけなかった。
ぶうちゃんの旦那のエドワルド、エドワルドのお父さん、お母さんはどんどん
沖へ行って見えなくなってしまった。
最終的には…、私、1匹。ナオキくん、2匹。その他の人、たくさん。
夜、エドワルドが釣った鯛のお刺身をたらふく頂いた。
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5月10日。母の日。今日は、親戚が集まって食事をした。
その御馳走を作るために、ガジーナ(雌鶏)を二羽絞めるらしい。
私も、その手伝いをさせてもらうことに。
しかし、私は朝から、日焼けに虫刺され、それから草にかぶれて
足がパンパンに腫れてしまい、身体が辛かった。
というのは、ここ数日、私はエドワルドの漁師仕事の手伝いをほぼ毎日して
いた。湖や沼でするため、草が多く、虫も多い。
虫刺されがひどく、身体がアレルギー反応を起こしてしまい、足
が腫れ上がってしまった。
ここへ訪ねて来る日本人は、全員がこの腫れを経験するのだという。
身体が辛くて、雌鶏を食べる時間以外は、薬を飲んで一日寝かせてもらった。

5月13日。今日もエドワルドの手伝い。
まずは、豚の餌用のパルミッチェ(ココナッツの実)を取りに森に入った。
パルミッチェはかなり長い木のため長い竹の先に刀をつけて実を取る。
中々採れなくて、蚊がたくさんいる中、一時間も作業に掛かった。
またもや虫刺されいっぱい。パルミッチェを餌にすると豚は下痢もしないし、
脂身の味がとてもよくなるということだ。
それにしても、豚を育てるのはホントに大変だと実感した。
その後、沼へ入り私とぶうちゃんは釣りをした。
ナオキくんはエドワルドと網漁。
今日の収獲は、58kg。まずまずらしい。
エドワルドの職場は、基本給+生産高という仕組みになっている。
いつも獲るナマズは1kgが1.6ペソ(約6円、パンがひとつ買える)。
労働量の割に安いなあ、と思うがキューバの物価でいうとまずまずの
値段だそうだ。
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 エドワルドの手伝いを必死でするナオキ。
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 魚がとれてうれしそうなナオキ。
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 わにが網に引っ掛かっていた!漁を教えてくれたエドワルド。

5月16日。今日は、エドワルドの両親が働いていた共同農場の祭り。
皆がノリノリでサルサダンスを踊っていた。キューバ人の腰使いはスゴイ。
みんなで10ペソビール(約40円)を飲んだ。
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 祭りでは馬競争が開催された。
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 馬競争を見学する子供たち。

5月22日。今日はお休み。ナオキくんとぶうちゃんと3人で、島にある
旧刑務所を見に行くことにした。ここは、昔フィデル・カストロが政治犯
として捕まっていたところだ。
また、第二次大戦中には、353人の日系人が強制収容され、最大4年間隔離
されていたそうだ。当時の親米政権が米国の日系人強制収容政策に追従し、
島の刑務所に押し込んだのだ。
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6月1日。羊を1頭400ペソ(16ドル)で買った。
日本ではこんなことは経験できないだろうということで、
数日前にぶうちゃんから「食べてみたい?」と話を持ちかけられたのだ。
私とナオキくんは、即「食べたい!」と返事をした。
そして、今日はナオキくんが、絞めるのにチャレンジすることになった。
屠殺の仕事をしていた近所のおじさんが手伝いにきてくれた。
羊を絞める際には、身体の血を全て外に出すために逆さに吊るして、首を切る。
「ここを一気に切るんだ。」
とおじさんが首に包丁を指しながら、ナオキくんにアドバイス。
包丁を貰おうと待っていたナオキくん。
その瞬間、なぜかおじさんは羊の首を一瞬で切ってしまった。
切った後、ナオキくんは包丁を手渡され、「シャッターチャンスだ!」
と言われていた。
ぶうちゃんが言うには、おじさんはすごくせっかちな性格らしい。
せっかくの機会を奪われ、不満そうなナオキくん。
でも、初めて絞めるところから調理した羊の肉は格別に美味しかった。
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 嫌がる羊を連れてくるナオキ。
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 おじさんが首を切った直後。
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 手際よく羊をさばくおじさん。
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6月4日。ぶうちゃんが数日前に、
「二人がここで一生懸命働いてくれたから、
お礼にうちの子豚を絞めることにした。」と言ってくれた。
少しだけれど豚の世話は手伝わせてもらったので、豚を育てる大変さを
理解しているつもりだった。
それだけに、本当にありがたいと思った。

そして、今日はついに子豚を絞める日。
今日こそ、とナオキくんが経験のために絞めさせてもらうことに。
ちなみに、動物を絞めるのは、とても力がいるので男仕事なのだそうだ。
子豚は、小屋から連れてくるときから叫び、嫌がった。
自分が殺されることを知っているように見えた。
その叫び声や、抵抗を見ているのが私はとても辛くて、目を逸らしたかった。
だけど、ちゃんと殺す瞬間を見なくてはいけないと思った。
自分が食べている動物は、いつも誰かが自分の代わりに殺しているからだ。
男性たちは、抵抗する子豚の手足や顔を地面に押さえつけた。
ナオキくんが心臓を刺した。初めてなのでうまくいかず、
心臓から外れたところを刺してしまった。
だから、子豚が死ぬまでに余計に時間がかかった。
長いことジタバタ暴れ、キィーキィー叫んでいた。
それでも、しばらく経って息がなくなった。
その後、私も子豚の毛を処理する作業を手伝った。
子豚はまだ温かくて、「生きていた」というのが感じられた。
作業しているうちに、子豚の身体は冷たくなって、目も白眼に変わった。
ナオキくんに感想を聞くと、「すごく柔らかくて、簡単だった。」
と言った。
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豚の心臓。
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6月5日。朝から、エドワルドのお父さんが豚を丸焼きにするために
火起こしをしていた。皆で、酒を飲みながら、丸焼の作業した。
焼くこと4時間と少し。ついに出来上がった!
まずは、皮をつまみ食い。パリパリしていて、すっごい美味しかった。
その後、コングリ(豆ごはん)と一緒に頂いた。
脂身がすごく美味しくて、驚いた。こんなに美味しい豚を食べたこと
がなくて感動した。特に、バラ肉、骨の周りが美味しくて、
この美味しさをどう表現したらいいのだろう、と悩むほどに美味しかった。
豚を食べてる時、殺した時の嫌悪感は忘れていた。
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朝早くから豚の丸焼きをしてくれた、エドワルドのお父さん。
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 豚の丸焼き完成!!この皮もまた絶品!!

6月10日。キューバ最終日。私と、ナオキくんは一ヶ月半のキューバ生活
を終えて、再びオンボロ飛行機でメキシコへ戻った。


**キューバの社会システム、状況など*****************

現在もキューバでは、月1回各家庭に食料品、生活用品の配給がある。
1ヶ月の配給は、米、豆、砂糖、塩、パスタ、たばこ(年寄りのみ)
ジュース(子供のみ)、牛乳(年寄りと子供のみ)。
それに、石鹸、歯みがき等。
足りない分は小売店で購入することになるが、
収入に対しての市場の物価は非常に高いため、島では豚や鶏、野菜を育てて売る、
などの副業をして賄っている家庭も多い。

アメリカ政府の発表によればキューバ人一人あたりの月収は15ドルほどである。
ほんの5、6年前までは国民の給料はほとんど一律だったらしい。
しかし、国内経済を活性化させるために基本給+出来高制、
若干の「競争原理」を導入しているらしい。
儲かる自営業は、旅行代理店、ツーリスト向けのホテル、
民宿、輸入品を取り扱う小売店など。
その代わりに収入の多い商売をする人には、
高い税金を納めることが義務付けられているようだ。
更に、お金を持っている外国人ツーリストからの外貨収入にも力を入れている。
キューバには通貨が二つ存在し、国際通貨であるCUCと国内専用通貨のCUPがある。
1CUC=24CUP。キューバ人の生活は基本的にはCUP(ペソ)で行われている。
例えば、ピザ一枚5ペソ(約20円)、
市バスに乗るのはどこまで行っても0.4ペソ(約1.6円)。
それに対して、ハバナで私が泊まっていた宿は一泊25CUC(ドル=約2500円)。
この差は歴然だ。


そして、何よりも日本と違うところ。
大学卒業までの教育費から寮生活費まで、
医療費は手術代から入院代まで、老人ホームなど
国民全員が無料で受けられる。
刑務所では、家族をギリギリ養える最低賃金があり、
月に一回家族と一緒に過ごせるという。
そして、住居も国から分配されており、最低限の保障がされている。
高所得層からは税金を徴収し、貧困層に分配する。
徹底して、国民の格差を小さくする政策を行っている。

都市部、地方部を含め、住宅が不足している。
かなり狭い部屋に多くの人数が住んでいる家も多い。
しかし、自分で合法的に家を建てるには金も手続きも
かかるため現実的には厳しい。
だから、空いてる土地に勝手に家を建てる人も多い。
政府も住宅支援をしたいが、金がないため、
法的には不法建築っを認めていないものの、
不法建築には多少の罰金で見逃している。

キューバはソ連崩壊を機に海外の輸入や外からの支援、
外圧から国を守るために、国内生産に力を入れている。
農業に関しては、自給率を上げるために、
勝手に耕した土地は耕した家族がその後合法的に使用していい。


*** 感想 *****************************

キューバ、特に島の1ヶ月にわたる生活は、暑くて、虫刺されも多くて、
力仕事が多くて、とてもキツかった。
甘いお菓子が大好きな私は、それも簡単に手に入らない環境にいて、
最初は苦しかった。村ではお菓子が、買えない日もある。
そして、今まで行った国の中でも、日本とは異なることが多すぎて驚きの
連続だった。

キューバの小売店は物が少ない。大きいスーパーマケットなんて見なかった。
1店舗に多分20~30アイテムあればいい方だ。
病院や教育、住居、最低限の衣食住は守られている。
しかし、もっと物が手に入りやすい生活がしたいと思う人が
多いとも思う。私もその一人だ。
平均的収入(月給1500円ぐらい、ちなみに油一本200円)
のキューバ人の生活では、少々我慢が多すぎると思った。

お酒がたまに飲めたとしても、服を頻繁に買ったり、
レストランへ行くのは経済的に厳しい。
狭い家に大勢で住んでる場合もある。
島生活の間、生活への不満を何度か耳にした。
物資も少ないので闇商売や闇ルートもあるようだった。
だからか、遊びたい盛りの若者たちにはフラストレーション
があるのではないかと感じた。
私ならせめてもう少し、物が自由に買えるようになりたいと思った。


ぶうちゃんの家には、親戚をはじめ近所の人が一日に何人も出入りする。
「○○がなくなったから貸して。」「油をすこしくれ。」
こういう近所付き合いが多いせいで、うっとうしい時もあるという。
それでも、困ったときはみんなが助けに来てくれる。
「うっとうしさと共にある助け合い、それがキューバだ」と語っていた。
社会主義なんていうよりもわかりやすい気がした。
これは、社会主義なんていうよりも、人間が持ってる知恵だと思う。
過度の競争社会、資本主義は、こういったうっとうしさを省くし、
非合理的なものや助け合いを減らしていると思った。


ソ連崩壊後の厳しいときにカストロが言った言葉。
「貧しさを分かち合おう。」
実際に一ヶ月生活してみて、確かにキューバには
競争社会が置き去りにしている助け合いがあると思った。
私が話したキューバ人は、自国を理解し、
多くの人が基本的には政府に賛同していた。


また私は、1ヶ月間、(気がつけば)炊事係になっていて、
ほぼ毎日4人分の食事を作った。
食べ物は、庭で育てた野菜を収穫し、獲ってきた魚、
もしくは冷凍の肉を使って調理した。
調理は一応ガスもあるが、政府の政策によりガスから電気に
切り替えられ電気コンロをつかっていた。
キューバには日本にあるような簡便食品(冷凍食品、加工食品、総菜等)
がほとんど手に入らない。だから、手抜きなんて出来ない。
面倒だった。それでも、農薬を使っていない野菜や天然の魚は格別の味だった。
何よりも島生活最後に羊と豚を殺したこと、それは私にとって強烈な印象として残った。
私は今まで、既に加工された肉をスーパーなどで買って食べてきた。
動物を食べることに対して、抵抗も痛みも感じないまま、
それが習慣となって食べ続けてきた。
豚を殺すときに感じた痛み。
それを越えるほどの豚の美味しさ。
こんなことを経験して、
食べることはホントに生きることだなと心から感じた。
(でも、これからは地球環境や動物の権利のため
 無駄な肉食を減らそうと思うが。)

さて、今私はメキシコ・カンクンにてこれからどこへ行くか悩み中だ。
サパティスタ。そして、キューバ。
この2つの体験を経て、「目からウロコ」というより、
目玉が転がり落ちるほどの大きな衝撃を受けてしまった。
まぁ、何をするにせよ、人間らしく今を生きよう。
石原野恵、そう決意したのでした。

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 街のあちらこちらに、アンチキャピタリズモ(反資本主義)の看板があった。
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 キューバでは、100円ライターは使い捨てじゃない!100円ライターの修理屋さん。
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# by noetabi | 2009-06-13 02:24 | キューバ