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キューバでの自給自足生活   

2009年 06月 13日

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4月28日から約1ヶ月半、ナオキくんとキューバへ行ってきた。
5月1日、ハバナでメーデーに参加。
5月4日~6月7日まで青年の島という日系人の多い島で
知人の家に居候しながら自給自足生活をしていた。
キューバは世界でも数少ない社会主義体制を取っている国。
日本と全然違ったシステムで人々が暮らしており、とても興味深かった。

***キューバ概要(参考:wikipedia、その他)***********

-革命前-

先住民たちが平穏に住む土地にスペイン人が1492年に侵略。
以降、先住民たちはスペイン人による奴隷労働、
虐殺、疫病によりほとんどが絶滅したといわれる。
その後、先住民の代わりに奴隷としてアフリカから
黒人たちが強制的に連れてこらえる。
『1763年から1787年の間だけでも、30875人の黒人が「奴隷輸入」されている。』
(コロンブスからカストロまで1参照)

1902年5月20日にキューバ共和国はスペインから「独立」を達成。
しかし、独立を勝ち取ったかに見えたが、キューバの新たな主人、
アメリカ合衆国による支配が始まった。
「独立」後、キューバにはアメリカ資本が数多く進出し、
精糖産業など多くの資源産業をアメリカ企業が支配した。
また、政治家の不正が度重なって生じたことで、
キューバの現状に対する国民の不満はこの頃からより深刻化していった。
1952年にフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)軍曹は
クーデターで政権を奪取し、憲法を停止した上で独裁政治を開始した。
バティスタ政権は、腐敗、弾圧、独裁が続いた。
これにより、アメリカのキューバ支配は頂点に達し、
バティスタ政権とアメリカ政府、アメリカ企業、
アメリカマフィアの4者がキューバの富を独占し、
その富がアメリカ本土に流れるような社会構造が形成された。

-革命-

1953年7月26日に、このようなアメリカによる半植民地状態の
克服を夢見て、フィデル・カストロ率いる青年たちが武装蜂起
したが失敗に終わり、多くの同志が殺され、カストロは投獄された。
カストロは、出獄後、同志とともにメキシコに亡命した。
メキシコ亡命後、カストロらはその地でアルゼンチン人医師の
チェ・ゲバラと出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、キューバに上陸した。
その際、政府軍の攻撃でカストロらは壊滅的打撃を受けたが、
政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、
1959年1月1日にバティスタを国外逃亡に追い込んだ。

-革命後~現在-

その後、同年2月半ばにカストロが首相職に就任。
革命政権は一連の農地改革法を実施し、
砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始めた。
また、精糖業などでアメリカ資本に握られていた土地と産業を国有化し、
農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進した。
この過程で、医者をはじめとする中・上流階級の多数の人々が
アメリカなどへ亡命した。

バティスタ政権を失ったアメリカは、
59年5月から革命政権が実施した徹底的な農地改革に直面したことで、
革命政権を敵視するにいたった。
1961年、アメリカ政府はキューバとの外交関係を断絶し、
少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。
そして、キューバは社会主義宣言を行い、ソビエト連邦との結びつきを強めた。
1962年2月3日にアメリカのケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、
キューバの経済封鎖を行うと発表した。
同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、
核戦争の危機となったが米ソの妥協で危機を回避する事態が起きた(キューバ危機)。
これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化した。

1991年にソ連が崩壊。
ソ連から石油や化学肥料が輸入できなくなったキューバで、カストロは
石油に依存しない有機農業を目指し、本を読みまくったらしい。
そんな中で、カストロが打ち出した政策は、
「有機農業の推進」と「食用牛の廃止」だった。
輸入穀物を大量に必要とする食用牛を廃止し、牛は農耕に回しトラクター
の代替となった。食用牛の廃止は、牛の屠殺禁止となった。
牛は全て国有財産となり、ミルクは子供と年寄り優先となった。
そのため、牛を殺した場合の刑罰は非常に重いらしい。

現在もアメリカとの国交断絶は続いており、アメリカからキューバへは入国できない。

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ソ連崩壊前にあった食用牛の牧場跡地。


***キューバでの生活*******************

4月28日。
CUBANA航空でメキシコ、カンクンからハバナに向けて、
ナオキくんと共に出発!
飛行機は(多分)ソ連製のオンボロ便で、出発してすぐに床からドライアイス
のような煙が大量発生!
ビビる私、寝てるナオキくん、その他にもビビる乗客数名。
しかし、添乗員は何事もないかのように落ち着いて歩いているので、
多分これは特別な問題ではないらしい。
1時間後にハバナのサン・ホセ空港に到着。
キューバは政府がヒッチハイクを奨励していて簡単に出来ると聞いていたので、
ヒッチハイクに挑戦。

幹線道路まで出ると、いきなりブッシュの顔写真が書いた
看板が出てきた。このスペイン語の意味が正確にわからないのだが、
「ブッシュはテロリストだ!」みたいなことが書いてあった。
その顔写真付き看板の前を通り過ぎた高校生くらいの女の子三人組がいた。
その一人が、持っていた縄跳びでブッシュの顔を殴って笑いながら歩き去った。
こんなところで「キューバに来た~。」と実感。
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4月29日。
今日は朝一番に病院へ行かなければならなかった。
メキシコで発生したインフルエンザの影響のため、
メキシコからキューバに入国した外国人ツーリストを含め全ての人が
二日以内に病院へ行くことが義務付けられていた。(違反すると
500ドルの罰金、もしくは刑務所行き!!)
もちろん、病院代は全員無料。
この徹底っぷりには感心した。
病院で問診を受けて、問題がなかったのですぐに帰ることができた。
キューバの病院が体験できた貴重な経験となった。

5月1日。
今日は、5月1日、国際的労働者祭・メーデーの日。
7時前に起きて革命広場へ向けて出発。
キューバでは、メーデーは格別にお祭り騒ぎのようだ。
街のあちらこちらに'1 de Mayo(5月1日)' と書いたポスターやら、
キューバ国旗やら赤黒旗があって驚いた。
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ナオキくんと二人で歩いていくと、途中でデモ隊と出会った。
子供からお年寄り、労働組合まで、人がいっぱい皆で'!Viva Cuba!'と叫んでいた。
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***島の自給自足生活。**********************

5月4日。6時前に起床。知人の住む青年の島へ向かう。ハバナからバスで1時間半で
港に到着。船で2時間。島の港からタクシーで20分。やっと、知人のぶうちゃん
の家に到着した。ハバナから遠かった。
日本から考えると恐ろしい程遠いところだ。
とにかく日本から見ると、地球の裏側のこの島での生活が今日から始った。

5月5日。今日は、イミグレーションに行って、ツーリストビザから
家族ビザへ切り替えた。
キューバでは、一般家庭に宿泊するには家族ビザが必要らしい。
民家での宿泊を認めると、お金を持っている外国人ツーリストからの外貨収入が
減るからだろう。キューバは金持ちからはお金を徹底的に取るシステムになっている。
(例えば、キャッシュカードや外貨を持ってる人はそれらを使うたびに10%TAXが
取られる。1万円下ろすと1千円が取られる。カードや外貨を持ってる人はキューバでは
少し金を持ってる部類になり、そのTAXが病院や教育などに再分配される仕組み。)
1人40ドルを支払い、無事切り替えることが出来た。

5月6日。今日は、家族総出で海釣りへ行くことに。
総勢8名、馬車2台で出発。
島では、主な交通機関は馬車だということだ。
ガソリンが高い上、横流しのガソリン以外、島では手に入りにくい。
そして、車が壊れた場合にも修理する部品も手に入りにくい。
車を維持することは一般市民にとって現実的ではないそうだ。
馬車は予想以上にガタガタ揺れて、乗り心地は良くなかった。
馬車で40分程行くと、マングローブの森に突入し、
ガタガタ道でお尻が痛かった。
それから、島にはマラブーという棘がある木がたくさん生えている。
気を抜くと、足や腕に刺さる。
そんな道をしばらく進んで、やっと海に到着。いよいよ、釣り開始。
海の中を歩きながら、根気よく釣れるポイントを探さなければいけなかった。
ぶうちゃんの旦那のエドワルド、エドワルドのお父さん、お母さんはどんどん
沖へ行って見えなくなってしまった。
最終的には…、私、1匹。ナオキくん、2匹。その他の人、たくさん。
夜、エドワルドが釣った鯛のお刺身をたらふく頂いた。
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5月10日。母の日。今日は、親戚が集まって食事をした。
その御馳走を作るために、ガジーナ(雌鶏)を二羽絞めるらしい。
私も、その手伝いをさせてもらうことに。
しかし、私は朝から、日焼けに虫刺され、それから草にかぶれて
足がパンパンに腫れてしまい、身体が辛かった。
というのは、ここ数日、私はエドワルドの漁師仕事の手伝いをほぼ毎日して
いた。湖や沼でするため、草が多く、虫も多い。
虫刺されがひどく、身体がアレルギー反応を起こしてしまい、足
が腫れ上がってしまった。
ここへ訪ねて来る日本人は、全員がこの腫れを経験するのだという。
身体が辛くて、雌鶏を食べる時間以外は、薬を飲んで一日寝かせてもらった。

5月13日。今日もエドワルドの手伝い。
まずは、豚の餌用のパルミッチェ(ココナッツの実)を取りに森に入った。
パルミッチェはかなり長い木のため長い竹の先に刀をつけて実を取る。
中々採れなくて、蚊がたくさんいる中、一時間も作業に掛かった。
またもや虫刺されいっぱい。パルミッチェを餌にすると豚は下痢もしないし、
脂身の味がとてもよくなるということだ。
それにしても、豚を育てるのはホントに大変だと実感した。
その後、沼へ入り私とぶうちゃんは釣りをした。
ナオキくんはエドワルドと網漁。
今日の収獲は、58kg。まずまずらしい。
エドワルドの職場は、基本給+生産高という仕組みになっている。
いつも獲るナマズは1kgが1.6ペソ(約6円、パンがひとつ買える)。
労働量の割に安いなあ、と思うがキューバの物価でいうとまずまずの
値段だそうだ。
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 エドワルドの手伝いを必死でするナオキ。
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 魚がとれてうれしそうなナオキ。
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 わにが網に引っ掛かっていた!漁を教えてくれたエドワルド。

5月16日。今日は、エドワルドの両親が働いていた共同農場の祭り。
皆がノリノリでサルサダンスを踊っていた。キューバ人の腰使いはスゴイ。
みんなで10ペソビール(約40円)を飲んだ。
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 祭りでは馬競争が開催された。
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 馬競争を見学する子供たち。

5月22日。今日はお休み。ナオキくんとぶうちゃんと3人で、島にある
旧刑務所を見に行くことにした。ここは、昔フィデル・カストロが政治犯
として捕まっていたところだ。
また、第二次大戦中には、353人の日系人が強制収容され、最大4年間隔離
されていたそうだ。当時の親米政権が米国の日系人強制収容政策に追従し、
島の刑務所に押し込んだのだ。
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6月1日。羊を1頭400ペソ(16ドル)で買った。
日本ではこんなことは経験できないだろうということで、
数日前にぶうちゃんから「食べてみたい?」と話を持ちかけられたのだ。
私とナオキくんは、即「食べたい!」と返事をした。
そして、今日はナオキくんが、絞めるのにチャレンジすることになった。
屠殺の仕事をしていた近所のおじさんが手伝いにきてくれた。
羊を絞める際には、身体の血を全て外に出すために逆さに吊るして、首を切る。
「ここを一気に切るんだ。」
とおじさんが首に包丁を指しながら、ナオキくんにアドバイス。
包丁を貰おうと待っていたナオキくん。
その瞬間、なぜかおじさんは羊の首を一瞬で切ってしまった。
切った後、ナオキくんは包丁を手渡され、「シャッターチャンスだ!」
と言われていた。
ぶうちゃんが言うには、おじさんはすごくせっかちな性格らしい。
せっかくの機会を奪われ、不満そうなナオキくん。
でも、初めて絞めるところから調理した羊の肉は格別に美味しかった。
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 嫌がる羊を連れてくるナオキ。
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 おじさんが首を切った直後。
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 手際よく羊をさばくおじさん。
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6月4日。ぶうちゃんが数日前に、
「二人がここで一生懸命働いてくれたから、
お礼にうちの子豚を絞めることにした。」と言ってくれた。
少しだけれど豚の世話は手伝わせてもらったので、豚を育てる大変さを
理解しているつもりだった。
それだけに、本当にありがたいと思った。

そして、今日はついに子豚を絞める日。
今日こそ、とナオキくんが経験のために絞めさせてもらうことに。
ちなみに、動物を絞めるのは、とても力がいるので男仕事なのだそうだ。
子豚は、小屋から連れてくるときから叫び、嫌がった。
自分が殺されることを知っているように見えた。
その叫び声や、抵抗を見ているのが私はとても辛くて、目を逸らしたかった。
だけど、ちゃんと殺す瞬間を見なくてはいけないと思った。
自分が食べている動物は、いつも誰かが自分の代わりに殺しているからだ。
男性たちは、抵抗する子豚の手足や顔を地面に押さえつけた。
ナオキくんが心臓を刺した。初めてなのでうまくいかず、
心臓から外れたところを刺してしまった。
だから、子豚が死ぬまでに余計に時間がかかった。
長いことジタバタ暴れ、キィーキィー叫んでいた。
それでも、しばらく経って息がなくなった。
その後、私も子豚の毛を処理する作業を手伝った。
子豚はまだ温かくて、「生きていた」というのが感じられた。
作業しているうちに、子豚の身体は冷たくなって、目も白眼に変わった。
ナオキくんに感想を聞くと、「すごく柔らかくて、簡単だった。」
と言った。
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豚の心臓。
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6月5日。朝から、エドワルドのお父さんが豚を丸焼きにするために
火起こしをしていた。皆で、酒を飲みながら、丸焼の作業した。
焼くこと4時間と少し。ついに出来上がった!
まずは、皮をつまみ食い。パリパリしていて、すっごい美味しかった。
その後、コングリ(豆ごはん)と一緒に頂いた。
脂身がすごく美味しくて、驚いた。こんなに美味しい豚を食べたこと
がなくて感動した。特に、バラ肉、骨の周りが美味しくて、
この美味しさをどう表現したらいいのだろう、と悩むほどに美味しかった。
豚を食べてる時、殺した時の嫌悪感は忘れていた。
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朝早くから豚の丸焼きをしてくれた、エドワルドのお父さん。
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 豚の丸焼き完成!!この皮もまた絶品!!

6月10日。キューバ最終日。私と、ナオキくんは一ヶ月半のキューバ生活
を終えて、再びオンボロ飛行機でメキシコへ戻った。


**キューバの社会システム、状況など*****************

現在もキューバでは、月1回各家庭に食料品、生活用品の配給がある。
1ヶ月の配給は、米、豆、砂糖、塩、パスタ、たばこ(年寄りのみ)
ジュース(子供のみ)、牛乳(年寄りと子供のみ)。
それに、石鹸、歯みがき等。
足りない分は小売店で購入することになるが、
収入に対しての市場の物価は非常に高いため、島では豚や鶏、野菜を育てて売る、
などの副業をして賄っている家庭も多い。

アメリカ政府の発表によればキューバ人一人あたりの月収は15ドルほどである。
ほんの5、6年前までは国民の給料はほとんど一律だったらしい。
しかし、国内経済を活性化させるために基本給+出来高制、
若干の「競争原理」を導入しているらしい。
儲かる自営業は、旅行代理店、ツーリスト向けのホテル、
民宿、輸入品を取り扱う小売店など。
その代わりに収入の多い商売をする人には、
高い税金を納めることが義務付けられているようだ。
更に、お金を持っている外国人ツーリストからの外貨収入にも力を入れている。
キューバには通貨が二つ存在し、国際通貨であるCUCと国内専用通貨のCUPがある。
1CUC=24CUP。キューバ人の生活は基本的にはCUP(ペソ)で行われている。
例えば、ピザ一枚5ペソ(約20円)、
市バスに乗るのはどこまで行っても0.4ペソ(約1.6円)。
それに対して、ハバナで私が泊まっていた宿は一泊25CUC(ドル=約2500円)。
この差は歴然だ。


そして、何よりも日本と違うところ。
大学卒業までの教育費から寮生活費まで、
医療費は手術代から入院代まで、老人ホームなど
国民全員が無料で受けられる。
刑務所では、家族をギリギリ養える最低賃金があり、
月に一回家族と一緒に過ごせるという。
そして、住居も国から分配されており、最低限の保障がされている。
高所得層からは税金を徴収し、貧困層に分配する。
徹底して、国民の格差を小さくする政策を行っている。

都市部、地方部を含め、住宅が不足している。
かなり狭い部屋に多くの人数が住んでいる家も多い。
しかし、自分で合法的に家を建てるには金も手続きも
かかるため現実的には厳しい。
だから、空いてる土地に勝手に家を建てる人も多い。
政府も住宅支援をしたいが、金がないため、
法的には不法建築っを認めていないものの、
不法建築には多少の罰金で見逃している。

キューバはソ連崩壊を機に海外の輸入や外からの支援、
外圧から国を守るために、国内生産に力を入れている。
農業に関しては、自給率を上げるために、
勝手に耕した土地は耕した家族がその後合法的に使用していい。


*** 感想 *****************************

キューバ、特に島の1ヶ月にわたる生活は、暑くて、虫刺されも多くて、
力仕事が多くて、とてもキツかった。
甘いお菓子が大好きな私は、それも簡単に手に入らない環境にいて、
最初は苦しかった。村ではお菓子が、買えない日もある。
そして、今まで行った国の中でも、日本とは異なることが多すぎて驚きの
連続だった。

キューバの小売店は物が少ない。大きいスーパーマケットなんて見なかった。
1店舗に多分20~30アイテムあればいい方だ。
病院や教育、住居、最低限の衣食住は守られている。
しかし、もっと物が手に入りやすい生活がしたいと思う人が
多いとも思う。私もその一人だ。
平均的収入(月給1500円ぐらい、ちなみに油一本200円)
のキューバ人の生活では、少々我慢が多すぎると思った。

お酒がたまに飲めたとしても、服を頻繁に買ったり、
レストランへ行くのは経済的に厳しい。
狭い家に大勢で住んでる場合もある。
島生活の間、生活への不満を何度か耳にした。
物資も少ないので闇商売や闇ルートもあるようだった。
だからか、遊びたい盛りの若者たちにはフラストレーション
があるのではないかと感じた。
私ならせめてもう少し、物が自由に買えるようになりたいと思った。


ぶうちゃんの家には、親戚をはじめ近所の人が一日に何人も出入りする。
「○○がなくなったから貸して。」「油をすこしくれ。」
こういう近所付き合いが多いせいで、うっとうしい時もあるという。
それでも、困ったときはみんなが助けに来てくれる。
「うっとうしさと共にある助け合い、それがキューバだ」と語っていた。
社会主義なんていうよりもわかりやすい気がした。
これは、社会主義なんていうよりも、人間が持ってる知恵だと思う。
過度の競争社会、資本主義は、こういったうっとうしさを省くし、
非合理的なものや助け合いを減らしていると思った。


ソ連崩壊後の厳しいときにカストロが言った言葉。
「貧しさを分かち合おう。」
実際に一ヶ月生活してみて、確かにキューバには
競争社会が置き去りにしている助け合いがあると思った。
私が話したキューバ人は、自国を理解し、
多くの人が基本的には政府に賛同していた。


また私は、1ヶ月間、(気がつけば)炊事係になっていて、
ほぼ毎日4人分の食事を作った。
食べ物は、庭で育てた野菜を収穫し、獲ってきた魚、
もしくは冷凍の肉を使って調理した。
調理は一応ガスもあるが、政府の政策によりガスから電気に
切り替えられ電気コンロをつかっていた。
キューバには日本にあるような簡便食品(冷凍食品、加工食品、総菜等)
がほとんど手に入らない。だから、手抜きなんて出来ない。
面倒だった。それでも、農薬を使っていない野菜や天然の魚は格別の味だった。
何よりも島生活最後に羊と豚を殺したこと、それは私にとって強烈な印象として残った。
私は今まで、既に加工された肉をスーパーなどで買って食べてきた。
動物を食べることに対して、抵抗も痛みも感じないまま、
それが習慣となって食べ続けてきた。
豚を殺すときに感じた痛み。
それを越えるほどの豚の美味しさ。
こんなことを経験して、
食べることはホントに生きることだなと心から感じた。
(でも、これからは地球環境や動物の権利のため
 無駄な肉食を減らそうと思うが。)

さて、今私はメキシコ・カンクンにてこれからどこへ行くか悩み中だ。
サパティスタ。そして、キューバ。
この2つの体験を経て、「目からウロコ」というより、
目玉が転がり落ちるほどの大きな衝撃を受けてしまった。
まぁ、何をするにせよ、人間らしく今を生きよう。
石原野恵、そう決意したのでした。

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 街のあちらこちらに、アンチキャピタリズモ(反資本主義)の看板があった。
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 キューバでは、100円ライターは使い捨てじゃない!100円ライターの修理屋さん。

by noetabi | 2009-06-13 02:24 | キューバ

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